今回は第二級古跡である「板橋林本源園邸」についてお伝えします。台湾でのロングステイのテーマが歴史というキーワードになっている方にとっては、かなり魅力的な場所となるのではないでしょうか。
もちろん、歴史以外のロングステイ、ショートステイのテーマであっても、のんびりぶらぶらと眺めながら歩くことができ、落ち着ける観光スポットとなるでしょう。
板橋林本源園邸の時代背景
オランダの統治時代、台湾各地で富を成し遂げた商人達、豪族、官僚などのいわゆる名士達は、娯楽や社交の目的としてこぞって庭園を建てるようになっていました。
そんな時代に沢山立てられた庭園の中でも有名なのが「台湾の四大名園」と呼ばれる台南の「呉園」、新竹の「北郭園」、板橋の「林本源園邸」、霧峰の「菜園」です。この4つの名庭園の中でも特に有名なのが「林本源園邸」と言われています。
板橋に位置するこの林本源園邸は、現在台湾で最も保存状態が良好な中国の伝統園林建築とされています。林本源園邸を語る上で、その庭園の主である林氏一族が何もないところから台湾を代表する大富豪になるまで四代に渡る長い努力が背後にありました。
板橋林本源園邸の由来
林氏の祖先である林應寅は、清乾隆43年に福建省の龍渓から台湾の新荘に移住して来て、文筆によって生計を立てていました。
しかしながらその生活は大変苦しく、やがて林應寅は台湾での生活をあきらめ中国に帰ってしまいます。
その林應寅には、平候と致富の二人の息子がいました。そのうちの一人である平侯は、台湾に残ってがんばってみる事にしました。去った父に代わり、平侯が台湾での林氏一族の第一代となり、祖ということになります。
林平侯には5人の子供がいました。五人の子供は、國棟、國仁、國華、國英それに國芳で、それぞれ、「飲、水、本、思、源」という家号(*4)を持っていました。 これは「飲水思源(*5)」という中国のことわざから取ったものです。
道光24年(1884年)に、林平侯は努力して大きく育て上げた事業を5人の子供に譲り継承させることになります。
この5人の子供の中で、三男の国華である「本記」と五男の国芳「源記」は特に商才に秀で、一族の事業を主導する立場として活躍していきます。この時の2人の称号が「本」と「源」だったので、その後「林本源」の三文字が「板橋の林家」の代名詞になっていき、板橋林本源園邸の由来となっていったわけです。
→ *4 家号: 屋号とも書く。名前の代わりに用い、その家の称号であり家名でもある。
→ *5 飲水思源: 直訳すると「水を飲むときその水源を思う」と言う意味。 これは、中国の南北朝時代の後期の梁(南朝)に生まれた宮廷詩人であった庚信の「徴調曲」と言う詩に基づく故事成語から取った物である。そのもととなった一節が「落其実者思其樹,飲其流者懷其源」で、その意味は「果実を食べる時は、その実がなっていた果樹を思い、水を飲む時はその水の水源を思う」。これは、”もとを忘れてはならない”ことの比喩で、他人から受けた恩恵を決して忘れてはならぬと教えているもの。それは人や家族に対してだけでなく自分の祖国に対してもいえる事である。
庚信は、42歳の時に南朝の梁元帝の命を受け北朝の西魏に使者として訪れたのですが、使いに出ている間に梁朝は西魏の侵略に遭い、梁元帝は殺されてしまう。庚信は、長安(西魏の都城)にそのまま拘留されてしまったのです。北朝は、彼の才能を歓迎し大将軍という高い位に任命したが、それでも庚信は国に帰りたく、南朝も何度も北朝に庚信を返してくれるように要求したが、その望みはかなわなかった。北朝にいた28年の間、庚信は常々故郷や国を想い、その思いを捨てられず望郷の詩人となった。その時に書いた望郷の詩の一つが「飲水思源」のことわざの元にもなった、「徴調曲」である。
3代目・4代目の板橋林家
咸豊(かんぼう)7年(1857年)林国華がなくなった後は、弟の林国芳が林家の事業を引き継いだのですが、その彼も5年後には帰らぬ人となってしまいました。
国芳には子供がいなかったので、林家の事業は国華の長男の林維譲と次男の林維源が継ぐ事になったのです。
林家の四代目である林維讓と林維源は、二代目の林平侯、三代目の林国華と林国芳が経営してきた事業基盤を更に拡大させ、林家の事業を更に上のステップはと躍進させ、台湾を代表する富豪へと登りつめます。
林本源園邸の今
今日の「林本源園邸」は林維源の時代に完成させた物で、総面積約6054坪、「園」と「邸」の二つの部分から成っています。「園」は「板橋林家の花園」とも呼ばれていて、それは住居以外の庭園の部分で、青閣、月波水シャ(木へんに射)、定静堂など多くの家屋と人工的に作られた山水があります。「邸」の方は、林本源家族の居住エリアを指します。
1977年に、林本源家族は庭園の部分を台北県政府に寄付し、1982年から一般参観が開放されました。天災や戦乱、及び時代の移り変わりにより、「林本源園邸」のような中国式園林庭園は今となってはほとんどが破損している状態か、長い歴史の中で消失し文士の筆墨、又はは歴史の記録の中に存在するだけとなっています。
板橋の「林本源園邸」は沢山の文化財専門家の考証に基づき、何度も修繕整理が行なわれ、現在は昔の古い形貌を取り戻しています。この林本源園邸は、先人が残してくれた貴重な歴史遺産であり、台湾史と伝統建築を知るための宝庫になっています。民国74年8月19日には第二級古跡に指定されています。(所在地は台北県板橋市流芳里西門街42の65号及び9号)
第一級ではなく第二級古跡であるあたり、歴史探訪や台湾の史学研究をロングステイのテーマとしている方にとってはポイントが高くないですか? 第一級は観光目的の方々も普通に訪れますが、第二級古跡となると、史学的な観点からアプローチするのは限られた方々だけですからね。ロングステイのテーマを歴史としているのであれば、この林本源園邸も、やはり外せないところではないでしょうか。