今回は、台湾でのロングステイに欠かせない医療機関のひとつである馬偕記念病院とも非常に関係の深い理学堂大書院に関してお伝えしましょう。この2つの施設は、カナダ人宣教師の馬偕博士によって建てられているという共通点を持っているんです。
理学堂大書院と馬偕博士
理学堂大書院は、1871年に馬偕博士が台湾にやってきた当時、台湾南部にはすでに英国長老教会が布教活動をしていたが、北部は人口が密集しているにもかかわらず宣教師もいなければ教会もない状況でした。
そのため、馬偕博士は即座に北上することに決め、1872年3月9 日に「海龍号」という船に乗り淡水港にやって来たのです。そして、この地を宣教、医療と教育の基地に決め活動し始めたのでした。
馬偕博士とは、台湾ロングステイ派、特に、北部台湾にて質の高い医療を受けられる総合病院の1つである、「馬偕記念病院」の前進である「滬尾(=今の淡水)偕医館」をつくったカナダ人宣教師です。
光緒6年(1880年)に、博士は8年目にして初めてバケーションがてら台湾での成果についてカナダに帰国し報告しました。故郷の人々は、馬偕博士の台湾での8年間の報告を聞き、学生を指導している教室の設備が不十分な状態であることを知ります。
それにより地方紙による呼びかけが開始され、オックスフォード郡の住民や仲間が、設備の充実した学校を建てられるようにと、非常に大きな金額のお金を寄付してくれたのです。
理学堂大書院は中華文化と西洋文化の融合
こうして、光緒8年(1882年)の9月14日に淡水に完工し開校された学校は「理学堂大書院」と名付けられ、教会が宣教を育んだり、医療と教育の場となりました。オックスフォード群の人々の善意の寄付によって建てられたので別名、「牛津学堂 オックスフォード・カレッジ(Oxfond College)」とも呼ばれました。
当時の理学堂大書院に通う学生は、各地の宣教師に推薦された優秀な青年ばかりで、第一期生は18人だったと伝えられています。
淡水に建てた理学堂大書院は、全台湾で最初の西洋方式教育の学校でした。建築様式は馬偕博士の設計によるもので、中華文化と西洋文化がミックスされたものであり、四合院建築と呼ばれてます。
部分的に複雑な箇所があり、設計者の意図が技術者たちにイメージが伝わらないことも度々あったようで、サツマイモを削りモデルを作成して意思を伝えたり、セメントがなかったのでもち米、黒糖、石灰と砂を混ぜセメントの代わりにしたなど・・・とても興味深い話も伝えられています。
屋根の上に作られた宝塔式の飾り小尖塔も特殊であり、壁には中仏戦争の砲弾の痕跡が残されていることでも知られています。
理学堂大書院は、台湾神学校、淡江中学と真理大学の原点とされており、民国74年8月19日に第二級古跡に指定されています。(所在地は台北県淡水鎮真理街32号、真理大学校園内)
さてさて、今回も第二級古跡がでてきました。特に選んでいるわけではないんですが・・・^^。淡水の真理大学内にありますので、ロングステイ中にぜひ訪れてみてください。台湾でのキャンパスライフの様子も同時に見れますね。