十三行の由来
十三行遺跡は台湾北部の重要な考古遺跡の一つです。この遺跡の場所は、台北県八里郷の淡水河と海の交差口である南岸であり、乾隆時代、非常に栄えた港だったんですね。
船頭行と呼ばれる、船に乗るお客さんや貨物を仲介する業者が13社集まっていたため、この地を「十三行」と呼ぶようになった説もあるようです。
港はやがて没落し砂丘になってしまうという運命を辿っていくんですが、面積約四平方メートルの地下には、豊かな史前文化の遺物がそのまま埋蔵されたまま・・・という状況になったんです。
十三行遺跡が現代に伝えたもの
現在までに掘り出された史前遺物はかなりに豊富であり、唐末期の中国貨幣、台東から来たであろう黄金、及び玉器、石器、金属品、ガラス製品、骨製品、生態の遺留物、集落跡・・・そして何と言っても13ヶ所の古墳と副葬品の数々。
同時に興味深い発見として、当時の埋葬法に関する文化・様式が理解できたことです。
体を横たえ、まるで赤ちゃんのように、手を胸の前に組み足を胸の前で曲げた状態。そう、まさに母親のお腹の中にいるような「側身屈肢葬」や、体を仰向けにし頭を南向きにした「直肢葬」の二種類が認識されたようです。
その他、例の少ない「無頭葬」もあり、これは恐らく集落や部族の間に戦争や頭狩りの行為が行われていたものと推測されています。
十三行遺跡の主は、今から500~1800年前に生存していたと思われます。これは台湾史前期の鉄器時代に属し、現時点で台湾で唯一、製鉄技術のある史前の居住民とされており、17世紀に台湾盆地で活動していた台湾原住民族(平埔族)の祖先であるという可能性が高いようです。
特に、民国80年7月に製鉄坊が発掘されたことにより、既に鉄器時代に入っていることを認識できる絶好の証拠となり、東南アジアで始めての発見でもあったようです。
この発見は、平埔族が優れた文化を持っていた事を証明すると同時に、漢民族が持ち込んだものではなく、台湾の地で独自の文化が形成されていた事を意味していると言われています。
十三行博物館もあります
十三行遺跡は、台北地区に唯一存在する史前平埔文化類型の代表的遺跡です。現在、保留されている遺跡の面積は約1ヘクタールで、遺跡の傍には十三行博物館が設立されており、これは台湾で最初の県立の考古博物館となっています。
1990年に「台灣省政府住宅及び都市発展局」により、十三行遺跡のあったエリアに汚水処理所の建設が計画されましたが、遺跡の破壊に反対した考古学者と一般市民が保存を強く訴えたため、遺跡の一部が保存される事になり、博物館の設立へと繋がったようです。
十三遺跡は、台湾の史前文化に加え古代中国と台湾先住民の祖先たちとの交流を理解するうえで大変貴重であり、高く評価されています。多くの人たちの尽力によって破壊から守られたこの遺跡は、民国80年11月23日に第二級古跡に指定されました。(所在地は台北県八里郷)