今回は第三級古跡に指定されている蘆洲李家古暦についてお伝えします。個人的な想いを絡めさせていただくと、こんな感じの家に大家族でワイワイ住んでみたいな・・・な~んてことを前々から抱いていた建築様式なんです。
台湾でのロングステイにおいては、歴史的背景から、戦前の日本の風景に触れる機会も多くノスタルジックな想いにかられる・・・といったことをよく耳にします。
同時に、今回ご紹介する蘆洲李家古暦のように、中華様式の台湾の伝統に触れられる風景をも当然ながら体感できるんですね。いろいろなテイストが存在する・・・まさに、台湾でのロングステイの醍醐味の1つに数えることができる要因だと思われますね。
古暦とは
蘆洲李家古暦とは蘆洲の李氏の旧宅で、台湾伝統の農家一族の集落の典型で、現在も非常に良い状態に保存されていいる古跡の1つになっています。
古暦とは中庭を囲むような格好で建物が建てられていて、中心に親、その周りには子供やその家族らが一緒に居住するスタイルであり大家族が住む住宅の様式なんですね。
“蘆洲李家古暦”と呼ばれているこの旧宅は、清の乾隆後期に台湾に定住した李濯夫が清咸豊7年(1857年)に建てた物で、場所は蘆洲田仔尾にあり、かつて家のまわりが田んぼに囲まれてたので、故人はここを「田野美」と称したと言われています。
元来の建築は「編竹夾泥壁(竹小舞土塗り壁)」式構造になっていたようですが、浸水による被害を受けたため、清の光緒19年(1893年)に、山西籍の建築の名匠であった廖鳳山をわざわざ中国から招き、8年の歳月をかけ明治36年(1903年)にようやく完成したそうです。
“李家古暦”は、中華文化発祥の地であり、同時に漢民族にとっても民族発祥の地とされている「中原」の古暦の建築スタイルを真似て作られました。現存する李宅の構成や配置は1903年の改修後のものとされています。
様々な良質な建材が使われているんですね
トータルでなんと、56個の部屋がある他、 9個の応接間、130個の門があります。”李家古暦”の玄関には、清の挙人(*1)である羅秀惠の「外翰」のドアの額が彫られていて、この旧宅の前には、半月の形をした蓮の池と淡水河まで流れる小さな運河がありました。
淡水河まで流れる小さな運河は、家を建てる時に使われる泉州石及び福州杉などの一流の建材を中国から現場まで海運で直通させるためのものだそうです。
民国10年に、”李家古暦”は、浸水のために再整備されました。場所的に浸水しやすい蘆洲”にあり何度も水害を被りながらも、200年近い歴史の中で生き延びこれたのは建材選びの際、基礎部分に台湾のとある石を選んだのが1番の理由とされています。
その石とは「Ki-Li-Gan」と呼ばれていて、「Ki=口へんに其」「Li=哩」「Gan=岸」の漢字がそれぞれ当てはまります。「Ki-Li-Gan」は平埔族の言葉を音訳した物であり、「海湾」と言う意味になるそうで、発音は、「Qilian」となります。
堆積岩に属するこの石は良質な天然の建築材料であり、聞くところによると冬は温かく夏は涼しく、かなり快適なんだそうですよ。
建築の用途だけでなく、品が高い反面、値段が比較的安い耐火材としても好まれているようで、かつての軍事の基地、砲台、防空壕などにも使われた形跡が見られるらしいです。
ロングステイ中にもぜひ訪れたい規模の古暦です
民国72年(1983年)李一族三百余名の子孫が台湾元にして数億の価値があるこの一族の百年住宅を、後世に残すため古跡としての申請を行い現在に至っています。
“李家古暦”は、台湾伝統農村家族の集落の典型であり、素晴らしい状態で今も残されていて台湾の民族文化資産と呼ぶのに相応しく、評価も非常いものがあり、民国74年8月19日に第三級古跡に指定されました。(所在地は、台北県蘆洲市中原村中正路243巷19号)
歴史探訪がロングステイのテーマの方々、第一級、第二級だけでなく、こちらの第三級もぜひチェックされるとおもしろのでは・・・と思います。第三級は数も非常に多く、ガイドブック等で紹介されていない古跡も多いです。
知る人ぞ知る自分だけの古跡・・・と言うとかなり言いすぎな感じですが、それに近い印象を抱けるような古跡を探すロングステイも、密度の濃い台湾滞在を実現できそうですよね。
(*1)挙人:中国の隋(隋)から清待つの1905年に廃止されるまで行われた科挙(かきょ。官僚登用試験)の郷試(きょうし。中国古くから行われていた科挙の地方試験)に合格し進士の受験資格を得た者を指す。明と清の時代は、三年に一度、子、午、卯、酉の年の8月に科挙の郷試が行われていた。