龍山寺と三邑
寺廟の起源は、全てそのエリアに住む人々の生活、あるいは歴史背景と密接な関連があります。これは、日本でも同じことだと思います。(画像は淡水駅)
淡水龍山寺は観音菩薩をお祀りしています。台湾にある全ての龍山寺は、中華人民共和国福建省泉州市の晋江安海龍山寺からの分霊を受けたものです。
台湾における龍山寺の中で比較的に有名なのが、以下の5箇所とされています。台湾ロングステイ中に、この5箇所を巡ってみるのもおもしろそうです。共通点や相違点などから、また新たな知的好奇心をくすぐられるかもしれませんよ。
淡水龍山寺
台北萬華龍山寺
台南龍山寺
鳳山龍山寺
鹿港龍山寺
龍山寺の信者は、主に、福建省泉州の晋江、恵安、そして南安など俗称「三邑」と呼ばれているエリア、及びその出身者の人々です。観音信仰は中国では普遍的な信仰なんですが、泉州においては特にその地縁的な色あいが非常に強く、台湾に移住しても故郷での信仰を共にする・・・そんな傾向があるようです。
すなわち、台湾で「龍山寺」を建造する可能性が高いのは、依然として三邑からの移民がほとんどであると言えるんですね。
女性の神々が守る淡水龍山寺
台湾には5つの有名な「龍山寺」があると書きましたが、それぞれ、いつ建立されたのかちょっと調べてみました。
- 台南龍山寺(雍正年間、1723~1735年)
- 鳳山龍山寺(乾隆元年、1736年)
- 萬華龍山寺(乾隆三年、1738年)
- 鹿港龍山寺(乾隆五十一年、1786年)
- 淡水の龍山寺(咸豐八年、1858年)
建立の順を守り、5つ全ての龍山寺を見ていったら歴史の流れを少なからず体感できるかも・・・単純な発想からそんなことを考えてみたんですが、現実的には台南→高雄→台北→彰化→台北という順序になってしまうんで、ちょっと実現は難しいかもしれません。
でも、ロングステイ中に全てを訪れることは可能ですよね。
淡水龍山寺は、喧騒な淡水の老市場(オールド・マーケット)の中にあり、観音菩薩をメインに祀ってますが、媽祖と註生娘娘(*1)も合わせて祀られていて、女性の神々を主体にした廟寺になっているんですね。これはかなり珍しいこととされているようです。
1858年に建立された後、何度か建て直されたり補修が行われたりしましたが、現在も、建立当初の外観は保たれています。
光緒十年(1884年)に清仏戦争が勃発した際は、戦争期間中に観音菩薩の魂が淡水の住民達の無事を守ったとされており、戦争終了後、当時の巡撫であった劉銘伝が光緒皇帝に奏請し、「慈航普度」という扁額を神のご守護に感謝するためにいただいたという言い伝えがあります。
民国74年8月19日、淡水龍山寺は第三級古跡に指定されています。(所在地は台北県淡水鎮清文里中山路 95巷22号)
(*1)註生娘娘:俗称「註生媽」又は「注生娘娘」と呼ばれ、中国のいくつかの地方によっては「送子娘娘」と呼ばれている。註生娘娘は、ミン南(福建省南部)、台湾の一帯で最も崇められている子育ての神様である。主に、子宝、安産、又は赤ちゃんを守る事を担当し、多くの不妊症を抱えた婦女や妊娠中の女性たちの信仰の対象になっている。註生娘娘の像は、左手には筆記帳、右手にはペンを持っており、その姿はまさに一軒一軒の家々の子供のことを記録していることを象徴しているといわれる。