今回は台北市立動物園の歴史についての第2回目です。1回目をご覧になりたい方は「台北市立動物園の歴史」をチェックしてみてください。
再建へ
第二次世界大戦後の1946年に台北圓山動物園は正式に台北市に引き継がれます。戦後の復興ムードの中、動物園の再建が進むにつれ建物も徐々に整備増築されていく中、1952年にはヒョウ、熊、ライオンなどを含む動物を大量に一括購入したりしたようです。
1961年以降には、日本の動物園界と相当数の動物の交換や寄贈、購入などが行われたため、動物の数も飛躍的に増加していきます。中でもキリンが最も脚光を浴び、老若男女が連れ立って一目見ようと動物園を訪れたようです。
1970年には、動物園脇にあった遊園地が色んな世代の子供たちと大人にエンターテイメントと教育を提供する5.8ヘクタールのより大規模なものへと強化されました。
1972年に、母鹿の「長春」が初めての出産に成功し、2年連続して順調に「長寿」と「長青」の両兄弟を産み落とした際には、大きな話題を集めたようです。1979年に閉幕されるまで、30年近く動物ショウが行われていたそうです。
同時に、保護と環境教育に対する社会的認識の向上により、台北市立動物園は、アニマル・ケアと博物学の専門知識を備えた環境教育と野生生物保護のリーダーとしての役割を担うようになっていきます。
1973年、より現代化された動物園を台北に誕生させるため、新たな場所に新動物園を建設する計画案が持ち上がります。13年に及ぶ計画・建設を経て、もともとの動物園は1986年の8月15日に正式に閉園。
台北市の南部にある木柵区に新しい動物園が1987年の元旦にグランドオープニングを迎える準備が着々と進み、1986年9月14日、圓山の動物達は数十万の民衆が沿道で見守る中、14.3キロメートルもの距離を南下しました。
パレードは、20の主役の動物を乗せた車以外にも、警察の車両や国旗、台北市の市旗、動物園の園旗を載せた車、医療車両、動物親善大使を乗せた車など、全部で38台が参加して行われました。
道中、圓山動物園のメインゲート、中正記念堂前広場、台湾大学正門及び木柵新園広場などの各ポイントにてパフォーマンスが行われたようです。
台北市立動物園として
台北での主な4つの役割は、保護、教育、研究とレクリエーションとされています。年間約400万人以上の訪問客が訪れ、いくつかの自然環境の保護をテーマとした国際会議の主催者でもあるんですね。
さらに、長年にわたり野生動物保護に関連した市全体をあげて教育的な活動を計画・実行してきたようです。
現在の動物園の総面積は165ヘクタール。うち90ヘクタールが一般公開されているエリアとなっています。園内は、メインとなる建物である教育センター、夜行性動物館、ペンギン館、コアラ館、両生爬虫類館、昆虫館の6つのエリアに分けることができます。
さらに台湾動物区、こども動物園区、アジア熱帯雨林動物区、砂漠動物区、オーストラリア動物区、アフリカ動物区、鳥園、温帯動物区の八つのエキジビション・エリア等も備えています。
その他にも屋外の自然観察エリアや湿地生態パーク、特設エキジビジョン・ハウスがあります。
2009年1月26日より、動物園の目玉となるパンダの「団団」と「円円」の公開が始まりました。また一つ、台北市立動物園のおもしろさが付け加わったという感じですね。