馬偕紀念醫院のインフォメーション
名称: 馬偕紀念醫院(馬偕記念病院)
英語表記: Mackay Memorial Hospital
住所: 台北市中山北路2段92号
Tel: (02)2543-3642
FAX: (02)2543-3642
WEBサイト: http://www.mmh.org.tw/index.asp
台北を拠点にロングステイされる方はご参考に。
その他のインフォメーション
- 台北県の淡水、台東市、新竹市にも分院があります
- オンライン診療予約受付サービスサイト:
http://www.mmh.org.tw/regis/regis.asp
サイト内の「台北院區門診掛號作業」をクリック - 外来診療時間表のダウンロードサイト:
http://www.mmh.org.tw/regis/regis3.asp
馬偕紀念醫院の診療科等の案内
■内科
循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、血液・感染内科、リウマチ内科、腎臓内科、内分泌・代謝内科,その他
■外科
一般外科、形成外科、小児外科、神経外科、心臓血管外科、消化器外科、呼吸器外科、その他
■産婦人科
一般産科学科、合併症妊娠学科、婦人科泌尿学科、各種婦人科腫瘍学科、不妊症センター、その他
■小児科
一般小児科、小児感染科、新生児科、小児過敏免疫科、小児急救看護学科、小児腎臓科、小児循環器科、小児神経科、小児胃腸科、小児内分泌科、 小児血液・腫瘍科、小児遺伝科、児童急性症医学科、その他
■その他
神経内科、精神科、形成外科、リハビリテーション科、耳鼻咽頭科、皮膚科、眼科、放射線腫瘍科、家庭医学科、泌尿器科、救急医学科、臨床検査科、歯科、口腔外科、薬剤室、その他
■医療関連部門
核医学科、病理診断科、臨床検査科、血液製剤管理庫、麻酔科、放射線科、台北手術室、淡水手術室、その他
■特殊医療ユニット
コミュニティーヘルス・センター、児童早期療育、栄養医療グループ、人体実験委員会、火傷センター、感染管制センター、臨床技能訓練センター、自殺防止センター、癌予防センター、美容医療センター、高濃度酸素センター、実証医学センター、放射線防護管理委員会、緩和医療教育センター
前身は滬尾偕医館
馬偕記念病院は、故ジョージ・レスリー・マッカイ(Geroge Leslie Mackay)、通称「Dr.馬偕」又は「馬偕博士」の台湾における偉大な功績を称え、建設された記念病院です。
イエス・キリストの教えにのっとり、「キリスト救世の精神を持って、病に冒された肉体、精神、魂を治療する」と言う趣旨に基づいており、ロゴマークは、「Burn out rather than rust out ⇒錆び壊れるより、むしろ燃え尽きたい」というDr.馬偕の精神を代弁しています。
1844年3月21日生まれのスコットランド系カナダ人である馬偕博士は、1872年3月9日にカナダの長老教会から台湾に宣教師として派遣され、淡水鎮を中心に布教活動を行う一方、医師、教育者としても精力的に活動し、1880年に台湾北部で初の西洋医学の病院「滬尾(=今の淡水)偕医館」を設立しました。
当時の「偕医館」は、病歴ファイル、医学報告、初診・再診の受診登録制度、衛生保健、民衆教育等、全ての分野において非常にレベルの高い診療所であったようです。
又、医館での診察治療以外にも、医療の普及のため、弟子を連れて様々なエリアに出向き、最終的には、北台湾のほとんどの場所にその足跡を残してきました。
時代をリードしてきた馬偕記念病院
「偕医館」は馬偕博士の死後、しばらく閉鎖されていましたが、カナダにある長老教会から新たに医師が派遣され、1905年に再開されました。
1911年、派遣されてきた医師達の提案で、医療センターが淡水から台北に移され、規模を拡大して建てられた新病院を、「馬偕記念病院」と命名し、現在に至っています。
日本統治時代の1943年10月から約2年半の間、「博愛会本部医院」と改名されていたこともありますが、その後も1966年の小児麻痺リハビリセンター設立、1967年の、台湾初のICUを12床を取り入れるなど、常に時代をリードしてきました。
続いて、1969年には、東南アジアを含め初の「自殺予防治療センター」を設立、「命のホットライン」などの電話相談を開始。1990年に台湾で最初の緩和療養病室を18床設置。これにより、台湾は世界で第18番目のホスピス・ケア機関を有する国となりました。いろいろな面でその姿勢に好感が持て、安心してロングステイができそうです。
博士や馬偕記念病院が果たしてきた功績は非常に大きく、1995年、台北県政府はその貢献を称えるため、偕医館付近に博士の銅像を贈呈。2001年6月1日には、馬偕博士没100周年記念切手発売記念セレモニーがとり行われました。さらに、2001年、淡水鎮は馬偕博士の命日である6月2日を馬偕記念日と定めるなど、博士の功績は非常に大きなものであったことが偲ばれます。