タイペイ・アイ(台湾劇棚)
“タイペイ・アイ(台湾劇棚)”が過去5年間に短期旅行やロングステイで訪台した約1万人の日本人旅行者を対象に、台湾に来て最も体験したいことや訪れたい場所について調査を行ったところ、以下のような結果になったようです。
- 故宮博物館
- 夜市巡り
- 小籠包を食べること
- 牛肉を食べること
- 民族演技等の鑑賞
この結果って、そのまんまな感じですね。ロングステイ体験談とか旅行記などに普通に出てきそうな内容です。
これらの結果は、台湾の食文化と伝統的な芸能・文化が海外からの観光客を魅了している事の現われである、そのような分析がなされているようです。
確かにその通りですよね。台湾にロングステイして、台湾の食文化や伝統文化を目的から外している方ってあまりおられないような気がします。
タイペイ・アイはそんな人々にとって、質の高い伝統的中華舞台芸術を体験させてくれる代表的なスポットといえるでしょう。
タイペイ・アイの成立ち
タイペイ・アイは、1915年頃、台湾のビジネスマンであるMr.クウこと辜顯榮(Xian-rong Koo)が日本人の手から「淡水劇館(淡水劇場)」を買い取り、「台湾新舞台”Taiwan Novel Hall”」として再スタートさせたことから始まります。
そして上海から京劇班(チャイニーズ・オペラ”Chinese Operas”)を呼び寄せ、福建と地元の歌仔劇班(グェーツ・オペラ”Ge-Zi Operas”)と共に、台湾の地で中華伝統芸術を上演する中心的なステージとなっていきました。
しかしながら、当時の台湾は日本によって統治されていました。第二次世界大戦が勃発し、アメリカは台湾を空襲します。その結果、「台湾新舞台」は灰と化してしまいました。
復活と飛躍
1989年に、Mr.クウの後継者である息子のDr.クウこと辜振甫(Dr.C.F.Koo)が、台北で「辜公亮文教基金会(The Koo Foundation)を設立し、京劇を広める活動をスタートさせます。
京劇の匠である李少春の息子であり、アメリカのリンカーン・センター(The Lincoln Center)から「アジア最優秀アーティスト賞(The Best Asian Performing Artist)」を受賞した李宝春も同基金の共同主催者となります。
李宝春は「台北新劇団」を創設し、国内だけでなく、国際的に重要と思われる芸術フェスティバルなどを精力的にツアーでまわり、これによって欧米諸国や日本の芸術界は中華の伝統演劇を高く評価するに至ったといわれています。
その後、根気よく京劇の発展に努めたDr.クウらは見事に念願を叶え、1997年に台北市に新舞台を再び出現させるに至りました。
「新舞台」は現代化された設備に加え、行き届いたサービスに多元化された演劇を提供できる機能を備え、現状、台湾で唯一の民間経営による劇場ホールとされています。
過去5年の間に、中国から京劇、崑劇、評弾劇、梨園劇、高甲劇等各種の劇団を台湾に招き、中国本土と台湾の文化交流の架け橋になってきたことも特筆されるべきことと言えるでしょう。
2002年、台湾を代表する大会社である「台湾セメント」は台北のメインストリートの1つである中山北路に、ダークグレーの大理石建築の本社ビル「台泥大楼(台湾セメントビル)”Taiwan Cement Hall”」を建設します。
設計は世界的に有名な建築家であり、日本で最初に高層ビルをつくった元新宿・新都心開発協議会主査のKMG建築事務所の郭茂林が担当しました。
そしてこの台湾セメントビルに、現在の”タイペイ・アイ(台湾劇棚)”が開設されたんです。
(タイペイ・アイで中華世界の伝統芸能を体感 Vol-2 へ続く→)