KANOを劇的に楽しく鑑賞!~嘉義農林野球部の選手紹介と選手のその後~

台湾映画「KANO」を見ていて思ったのは、とにかく長い! さらに、登場人物が多く、メインのストーリーに加えて、枝となるような周辺の話も同時進行していく感じがあるので、全体を把握しつつ鑑賞を進めていくのが若干ムズかったり・・・。そんな中、主役である野球部のメンバーについて予備知識があるとかなり映画が分かりやすくなるので、今回は嘉儀農林野球部のメンバーそれぞれについて現地の新聞や記念マンガなどから情報を抜粋しつつお伝えします。
 
 


嘉義農林野球部のメンバー紹介

 
●呉明捷/ご めいけつ
投手 4番 漢人

ピッチャーで4番という嘉儀農林の主力選手。肩が強く、ストレート、カーブ、スライダーを操り、打者が球筋を読みにくい。怪腕、麒麟児などのニックネームがあった。全島代表を決める大会前、自分が嘉儀農林を甲子園へ導くことができるかずっと思い悩む。最後は努力と自身の力で嘉儀農林の輝かしい歴史の1ページを刻んだ。

野球部に入るまえはバスケットボール、水泳の選手だった。パワフルな投球で台湾代表を決める「全島大会」で台中一中を相手に完全試合を達成。

投手としての能力だけえなく打者としての高い実力もあり、卒業後早稲田へ進学し大学野球で活躍。打率、ホームランのタイトルを獲得。

 
●東和一(藍徳和)
キャッチャー 5番 阿美族

呉投手の最高のパートナー。温厚な性格で笑顔を絶やさない。普段は物静かで目立たないが、大舞台では冷静沈着な判断でチームを落ち着かせる。卒業後は台東にて野球チームを設立、野球教育の仕事を継続。息子の藍文成も野球の道へ進み台湾のアマチュア野球界の有名な監督に。

 
●小里初雄
ファースト 7番 日本人

卓越した打撃センスだけでなく守備能力に長ける。華南平原に八田興一技師が作った大規模なダム作りに参加している技術者の子息。野球はもともと趣味程度でやっていたが、近藤監督はじめチームメイトにつられて、だんだんと甲子園へ行きたいと本気で思うようになる。ファースト、セカンド、ライトの日本人による鉄壁のトライアングルを形成。

 
●川原信男
セカンド 8番 日本人

高い守備能力。別名鉄壁。外野に抜けていくようなヒット性の打球を横っ飛びで捕ってしまうようなガッツのあるファインプレーが特徴。ファースト、セカンド、ライトの日本人による鉄壁のトライアングルを形成。

 
●真山卯一
サード 6番 阿美族

俊足。野球部に入部する前は平野と同じく長距離走の選手。盗塁でチームに貢献。「全島大会」では盗塁王を獲得しただけでなく、全島大会で史上初めてのホームスチールも成功させた。

 
●上松耕一(陳耕元)
ショート 3番 卑南族

俊敏なフットワークで守備の要。2塁手川原とはナイスペアで、2人で試合中に応援歌を歌ったりしてチームを鼓舞するだけでなく、守備においても川原との二遊間は非常に良いコンビネーションを発揮。

卒業後、嘉儀農林の教員となり後に野球部の監督も務める。その後台東農業高校の校長になり野球チームを作るなど台湾の東部原住民の野球発展のルーツ的な存在となった。全台東縣長・陳建年氏は息子。

 
●平野保朗(羅保農)
レフト 1番 阿美族

原住民特有の俊足が持ち味。もともとは長距離走の選手。明るい性格でチームのムードメーカー的存在。近藤監督の厳しい練習の下、スピードアップと選球眼の良さを開花。さらに元々三振ばかりの打力だったが、チームでも屈指の強打者へ成長を果たす。

甲子園の全4試合を通じ、5割を超える打率成績を残す。さらに出塁すると高い確率で盗塁を成功させたため、相手チームからは嫌がられた存在。

卒業後は台東の農業実験所へ。同時に台湾東部で野球発展のための活動を続ける。台湾プロ野球興農ブルスコーチの羅松永は兄弟の孫。

 
●蘇正生
センター 2番 漢人

元はテニスをやっていたが近藤監督にスカウトされ野球へ転向。腕力が強く強靭な打撃能力を発揮。相手の外野選手は常に3歩深く守備位置をずらして守ったと言われる。

甲子園史上、外野フェンスに打球を直撃させた最初のアジア人選手で飛距離は約130メートル。

卒業後、日本で横浜の専門学校へ進み野球を続ける。台湾へ帰ってからも審判、コーチに転身する形で野球に携わる。2008年、98歳の高齢で亡くなるまで生涯に渡り台湾の野球の発展に貢献した。

 
●福島又男
ライト 9番 日本人

寡黙で緊張しやすいが、試合中は鉄壁の守備力を発揮。彼の後ろへ打球が超えていくことは考えられないといったイメージを持たせる高い守備力が持ち味でニックネームは「銅壁」。ファースト、セカンド、ライトの日本人による鉄壁のトライアングルを形成。

 

「その他の嘉義農林出身の日本プロ野球選手」

●呉波(呉昌征/石井昌征)
外野手、兼投手 
近藤監督の下、春1回、夏3回甲子園出場、素足のプレーで知られた
外野手と投手の二刀流
史上初の実働20年選手(1937年~1957年)

嘉儀農林が甲子園で準優勝した時にはまだ入学しておらず、その時のメンバーからすると後輩にあたる。映画の中に頻繁に登場。映画内では学生帽をかぶってタンクトップ姿が特徴。

嘉儀農林を経て日本のプロ野球へ入団し、かなり良い成績をおさめた有名な台湾人野球選手。

1937年 東京巨人軍 俊足、強肩の外野手として有名で人間機関車
1942年 首位打者
1943年 首位打者 年間最優秀選手賞
1944年 阪神軍へ移籍 盗塁王
1946年 投手としても登板 ノーヒットノーラン記録 14勝6敗 防御率3.02 打率.291
1949年 毎日オリオンズへ移籍
1957年 現役引退
1987年 70歳で死去
1995年 日本の野球殿堂入り

●呉新亨(呉元敞/萩原寛)
外野手
1943年 大和軍
1944年 東京巨人軍 盗塁王

 
 
ということでKANOをより楽しく鑑賞するための嘉義農林野球部のメンバーに関する人物紹介でした。これを知っておくだけで、物語がかなり理解しやすくなるはず。

しかし、甲子園で準優勝して以降の嘉儀農林野球部は、その後の台湾の野球の発展にかなり貢献しているのがわかります。そういう歴史的な経緯も知っておくのも、より映画を楽しく観れる要素かなと思います。


 

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~PROFILE~

MOTOです。
2003年に初訪台し約1年の滞在で強烈な台湾ファンに!

その後も何度も訪台し、2008年には台湾のNPO法人さんとお仕事した際に超大まかながら台湾一周を実現。2013年、好きが高じて台湾に移住。

外食ビジネスを営む家で育つ。そんな流れで台北では食べ歩きばっかり(笑)

ワークアウト&エクササイズ好きが高じて日本ダイエット健康協会認定ダイエットインストラクター資格を取得。でも大のお酒好き&深刻なチョコレート依存症(笑)

マガジンハウス社の雑誌「anan」に掲載されました。

ananpic


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~登場人物~

アイリン。
日本生まれの日台ハーフ。小学校から高校まで台北、大学4年間は日本、現在は台北在住。
2015年3月より「MOTOとアイリンのエンディングトーク」に出演。(記事の最初の部分にも結構出てます)
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